311の震災から11年。
11年は長いようで、あっという間。
でも当時震源地周辺で被災された方は、
途方もなく長く辛い日もあったと思います。
11年前の311 私は何をしていた?
11年前、当時はまだ会社員1年目。
隣の上司が行ってくるねと、
打ち合わせに席を立ちました。
少しすると目眩?と思う横揺れ、
ローラーがついている椅子は
かき回されました。
目の前の高層ビルは
プリンのようにふるふる震えていて、
私のいるビルもこんなに揺れているの?
そう思ったとき、命の危険を感じました。
![](https://sniff-and-scurry.co.jp/wp-content/uploads/2022/03/sean-pollock-PhYq704ffdA-unsplash.jpg)
揺れが落ち着いて、
上司に電話しても繋がらない。
この日は電話回線が混線していましたね。
1時間後、エレベーターに
閉じ込められたと言いながら帰ってきた上司。
本当に安心しました。
その時、どこにいるかで
身の安全性が全く変わるなんて
考えたことがありませんでした。
そして11年前の311は、
とてもとても寒かった。
なんでこんな日に限って
特別に寒いんだろうと思いました。
私は電車では帰宅できず、
会社の近くに住む同期の家に
複数人で泊めてもらったのは
楽しい思い出でもあります。
ニュースで見る映像は
現実とは思えなくて、
震災地にいる知人の安否を思うと
言葉にできない気持ちになりました。
本当は怖くて仕方なかったけど、
笑って過ごせる仲間がいてよかった。
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11年経っての311
私の通っていた中学校は
岩手県と宮城県に
農業体験をさせるという行事がありました。
ありがたいことに、
当時の農家さんと今でも親族のように
贈り物をいただいたり
季節の挨拶をしています。
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夏休みには遊びに行って、
田舎のない私にとっては
とても魅力的な環境でした。
そのご家庭の親族も津波にのまれ
いまだに身体は帰ってこない。
娘さん家族は住む家を失い、
幼い子どもを連れて
関東へ引っ越してきた。
できることをと思い
衣類や家具をお渡ししたくても、
申し訳ないといつも言っていた。
でもいつ誰がその立場になるか分からない。
辛い時に辛いと言って、
頼れる人には頼ってほしい。
11年経って記憶が薄れてしまうかもしれない。
でも何度でも思い出して、
平穏な日常の有り難さを噛みしめたい。
朝、神社へお参りへ行ったら
保育園児さんが避難訓練をしていて、
訓練だけで終わるといいなと、
ただただ平和を祈る時間でした。
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311を忘れない。
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